東京高等裁判所 平成3年(行ケ)83号 判決 1994年4月27日
東京都千代田区丸の内二丁目5番2号
原告
三菱瓦斯化学株式会社
代表者代表取締役
西川禮二
訴訟代理人弁護士
及川昭二
同弁理士
大谷保
東京都千代田区霞が関三丁目4番3号
被告
特許庁長官
麻生渡
指定代理人
能美知康
同
長瀬誠
同
田中靖紘
同
涌井幸一
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた判決
1 原告
特許庁が、平成1年審判第2808号事件について、平成3年3月14日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和56年2月18日、名称を「用水系障害防止剤」とする発明について特許出願をした(昭和56年特許願第22814号)が、昭和63年12月19日に拒絶査定を受けたので、平成元年3月2日、これに対し不服の審判の請求をした。
特許庁は、同請求を平成1年審判第2808号事件として審理したうえ、平成3年3月14日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年同月20日、原告に送達された。
2 本願発明の要旨
本願明細書の特許請求の範囲第2項に記載された発明(以下「本願発明」という。)の要旨は、以下のとおりである。
「ヒドラジンまたはその塩、カルボン酸系低分子量ポリマーおよびアゾール化合物を有効成分として配合した混合剤からなる開放用水系障害防止剤。」
3 審決の理由
審決は、別添審決書写し記載のとおり、特開昭50-21948号公報(以下「第1引用例」という。)及び特公昭53-17649号公報(以下「第2引用例」という。)を引用し、本願発明は、第1及び第2引用例に基づいて当業者が容易に発明することができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであり、したがって、その余の発明について検討するまでもなく、本願は拒絶すべきものとした。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由中、本願発明の要旨、第1及び第2引用例に審決認定の記載のあること、第1引用例の発明と本願発明との相違点の各認定については認める。
しかし、審決は、第1引用例の記載内容を正しく理解しなかった結果、第1引用例の発明と本願発明との一致点の認定を誤り(取消事由1)、本願発明は第1及び第2引用例から当業者が容易に想到することができないのに、容易に想到できるとの誤った判断をし(取消事由2)、その結果、誤った結論に至ったものであるから、違法として取消されるべきである。
1 取消事由1
(1) 一般に、冷却水系等の工業用水系では、さまざまな障害を抑止することが必要である。
このうち、開放用水系では、<1>腐食防止、<2>スケール(用水中に含まれるカルシウム、マグネシウムなどの硬度成分が、長期間の継続運転中に濃縮蓄積し、炭酸カルシウムや水酸化カルシウム等の形で金属表面に沈着した硬い析出物)防止とともに、<3>スライム(微生物及び微生物の代謝生成物が金属表面に付着した沈着物)防止をすることが必要である。特に、開放用水系は、外部環境の影響を受けやすく、例えば、太陽光線が照射することによって繁茂する藻類や大気中から混入する有機質等に起因してスライムが発生するので、ほとんどの場合スライム防止対策を講ずる必要があり、これが重要な課題となっている。
これに対して、閉鎖用水系における主な障害は、腐食とスケールであり、そのため、閉鎖用水系では、<1>腐食防止と、<2>スケール防止は必要であるが、<3>スライム防止対策については、通常考慮する必要がない。
(2) 本願発明は、開放用水系で用いることを目的とする障害防止剤であって、本願発明の要旨に示すとおり、「ヒドラジンまたはその塩、カルボン酸系低分子量ポリマーおよびアゾール化合物」の3有効成分を積極的に一剤化したものであり、これにより、上記<1>~<3>の障害防止の効果を有するものである。
これに対して、第1引用例発明の薬剤は、審決も認定するとおり、閉鎖用水系を目的とする腐食防止剤であって、低分子量ポリマーとヒドラジンからなり、<1>ヒドラジンによる溶存酸素の除去に基づく腐食防止と、<2>低分子量ポリマーによるスケール防止を通しての腐食防止の機能は有するが、スライム防止を考慮する必要がないから、これについては全く言及されていない。
確かに、第1引用例(甲第4号証)には、「上記最終的処法に対して、種々の量のベンゾトリアゾールまたはメルカプトベンゾチアゾールのような化合物を添加して鋼および銅またはその合金の両方が同一系中に存在するより広く多様な工業的応用における有用性を改良することができる。」(同号証2頁左上欄19行~右上欄4行)として、低分子量ポリマーとヒドラジンよりなる組成物にアゾール系化合物を加える旨の記載があり、これに対応して、実施態様(5)には「ベンゾトリアゾールおよびメルカプトベンゾチアゾールよりなる群から選択された1種を,さらに含有する・・・組成物」(同3頁左上欄1~4行)と記載されているが、これは、「上記最終的処法に対して」、補助的に添加される可能性を示したにすぎず、腐食防止剤としては基本的に2成分で完結しているものである。第1引用例には、アゾール系化合物をどのように添加すべきかについて具体的な記載は全くなく、上記実施態様においても使用形熊についての詳細は不明である。
以上のとおり、本願発明と第1引用例の発明とは、使用目的、構成、効果とも異なるものであって、第1引用例には、実質的な意味で、ヒドラジン、カルボン酸系低分子量ポリマー及びアゾール系化合物の3成分を組み合わせて用いることは開示されていない。
(3) しかるに、審決は、第1引用例に3成分を組み合わせて用いることが開示されているとし、本願発明と第1引用例の発明は、この点で一致するとの誤った認定をした。
2 取消事由2
(1) 上記のとおり、第1引用例の発明と本願発明は、着眼点を異にし、適用環境、適用対象並びに解決課題をも異にする技術であるから、スライム防止対策のない閉鎖用水系用の第1引用例記載の薬剤を開放用水系用の本願発明に転用することは、本願発明出願当時容易に想到できることではなかった。
(2) 第2引用例の発明は、ヒドラジンが開放用水系でのスライム防止に有効であることを見出し、これに基づいてされた発明であるが、これは、腐食防止剤やスケール防止剤と一剤化し、常時使用することを想定していない。
一般に、腐食防止剤やスケール防止剤は、常時用水内に有効量が存在して間断なく作用することが必要であるから、濃度変化が著しいような使用形態を避けて、連続添加やあるいはそれと同等の効果を奏する態様で使用されている。これに対し、スライム防止剤は、対象とする藻類や微生物類等の耐性の発現の防止及び交代菌の発生防止の観点から、連続的・継続的ではなく、衝撃的あるいは間欠的に添加使用することが通常であり、第2引用例でも実施例の記載からみて、その使用形態は、従来のスライム防止剤と同じく、衝撃的あるいは間欠的に用水に添加するという伝統的な手法に従っている。
このことは、たとえば、「冷凍空調機の水処理」(昭和48年10月10日発行、甲第7号証)に、防食剤及びpHコントロール剤をフィーダーにより自動注入するとともに、スライムコントロール剤をタイマー付きフィーダーにより間欠注入することが記載されており(同号証143頁右欄、144頁左欄)、また、「小形または大形のクーリングタワーで最も理想的で、高濃縮運転が可能なモデルを示すと、・・・防食剤の自動注入、pH調整剤の自動注入、スライムコントロール剤の間歇自動注入」と記載されている(同149頁右欄)ことからも明らかである。ここで、pHコントロール剤はスケール防止剤に相当し、スライムコントロール剤はスライム防止剤に相当する。
同様に、本願出願後の刊行物ではあるが、「水処理薬品ハンドブック」(昭和57年12月発行、甲第6号証)にも、「防食剤やスケール防止剤などの冷却水処理薬剤は,適正濃度を循環水中に常特保持することが必要であり、濃度変動が激しい場合には十分な処理効果が得られない。したがって、循環水中の薬剤濃度は平均値を目標として管理するのではなく、薬剤が効果を発揮する下限濃度(限界濃度)以上を循環水中で保持するようにしなければならない。」(同号証153頁左欄下から11~5行)、「スライムコントロール剤はほとんどの場合、3~10日に1回の間欠投入が実施されており、保有水量に対して所定濃度を冷却塔ピットに一括投入する方法が一般的である。」(同155頁左欄本文8~11行)と記載され、フローシート図(同154頁)に、防食剤とスライムコントロール剤とを、処理水系に別個に添加する作業工程が記載されている。
このような使用形態の相違や相互反応のおそれから、本願出願当時、スライム防止剤は、腐食防止剤やスケール防止剤とは一剤化して使用しないという認識が支配的であった。
このことは、いずれも本願出願の4年後に刊行された「建築設備と配管工事」(昭和60年4月発行、甲第10号証)に、「近年、防錆・防スケール・防スライムの三つに効力のある総合水処理剤が上市されている。・・ここ1~2年前から、大型冷却塔向けにも一液タイプの総合水処理剤が上市され」(同号証48頁左欄9~18行)と、「工業用水」324号(昭和60年9月発行、甲第11号証)に、「従来より防食剤、スケール防止剤、スライム防止剤といった薬剤を薬剤タンクと注入ポンプにより冷却水に添加して水処理を行ってきた。・・・最近では、小型のワンパック薬剤が開発され,冷却塔のピットに投入しておけば腐食・スケール・スライムを防止できる商品として市販されはじめている。」(同号証44頁右欄5~15行)として、防食剤とスライム処理剤とが別途使用されている昭和58年の実績と、ワンパック薬剤が使用されている昭和59年の実績が記載されている(同49頁表-7)ことから推察できる。つまり、本願出願時には、各薬剤の使用態様は個別使用であったのである。
本願出願当時のこのような技術常識の下で、本願発明は、スライム防止剤としてヒドラジンを用いた場合、ヒドラジンと他の薬剤、特にスケール防止剤であるカルボン酸系低分子量ポリマー及び腐食防止剤であるアゾール化合物とを使用に先立ちあらかじめ一剤化しても、また同時使用しても、相互になんら悪影響を及ぼさないこと、さらに、開放用水系でヒドラジンを連続して使用しても、スライム防止作用は長時間ほとんど低下しないという知見に基づいて完成されたものである。
本願発明の障害防止剤は、複数の薬剤を一剤化した、あるいは使用時に同時に添加する混合薬剤であり、その使用形態は、特許請求の範囲に記載があるか否かにかかわらず、当然にその複数の薬剤を同時に使用せざるをえないものであって、この同時使用することこそが本願発明の最大の特徴なのである。これは、薬剤を別々に添加使用し、用水中において3成分の薬剤が共存して結果的に併用することになるのとは別異のものである。
その結果、本願発明は、薬剤を極めて簡単な作業及び機器で対象とする開放用水系に供給すればよく、作業量及び必要な機器は半減し、省力化及び経費節減に著しいものがあるという顕著な効果を奏する。
(3) 以上の各点からみて、第1引用例記載の薬剤を開放用水系の障害防止剤として転用した上、スライム防止剤を加えて、全成分を同時に連続して使用するということに想到し本願発明に到ることは、相応の困難性があるというべきであり、これを容易に想到できるものとした審決の判断は誤りである。
第4 被告の主張の要点
審決の認定判断は正当であり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がない。
1 取消事由1について
第1引用例(甲第4号証)の発明は、閉鎖用水系に用いることを目的とするものであるが、その特許請求の範囲第1項には、「低分子量ポリマーおよびヒドラジンよりなることを特徴とする水系中における金属の腐食を防止するために有用な組成物」が記載されており、この実施態様(1)には、「特許請求の範囲第(1)項に記載の組成物」(同号証2頁右下欄5行)と、同(5)には「ベンゾトリアゾールおよびメルカプトベンゾチアゾールよりなる群から選択された1種を、さらに含有することを包含する前記第(1)項に記載の組成物。」(同3頁左上欄1~4行)と記載されているから、この実施態様(5)に記載された組成物は、ヒドラジン、低分子量ポリマー及びアゾール化合物を一剤化したものを包含している。
原告は、第1引用例には、これら3成分を組み合わせて用いる旨の記載はされていないと主張するが、同引用例の「これら組成物は、N2H4として、約5ないし約35重量%のヒドラジン;約1ないし約10重量%のポリマーおよび残余分の水を含有する。・・・これら処法に銅防止剤を使用することが所望される場合には、上記防止剤の約0.5ないし約5%を添加することができる。」(同2頁右上欄5~13行)、「上記最終的処法に対して、種々の量のベンゾトリアゾールおよびメルカプトベンゾチアゾールのような化合物を添加して鋼および銅またはその合金の両方が同一系中に存在するより広く多様な工業的応用のおける有用性を改良することができる。」(同2頁左上欄19行~右上欄4行)、「好ましいポリマーはポリアクリル酸のナトリウム塩である。分子量は約500ないし約10,000の範囲内でよい。」(同頁左上欄10行~12行)との記載を総合すれば、上記実施態様(5)が、上記3成分を組み合わせて一剤化した組成物を包含していることは疑いの余地がない。
以上のように、第1引用例には、ヒドラジン、低分子量ポリマー及びアゾール化合物を一剤化したものが記載されていることは明らかであるから、審決の認定に誤りはない。
2 同2について
審決は、本願発明が開放用水系を対象とし、第1引用例の発明が閉鎖用水系を目的としている点を相違点とした上で、本願発明は、第1引用例及び第2引用例記載の事項から当業者が容易に発明することができたと認定したものであって、第1引用例発明の薬剤をそのまま開放用水系に転用したものであるとか、本願発明が第1引用例の記載のみから容易に想到できると認定判断したものではない。
本願発明は、「ヒドラジンまたはその塩、カルボン酸系低分子量ポリマーおよびアゾール化合物を有効成分として配合した混合剤からなる開放用水系障害防止剤」に係るものであって、各成分の使用形態は本願発明の構成要件とはされていない。そして、本願発明におけるヒドラジンの作用は、第2引用例に明示されているものと同じくスライム防止であって、これと何ら異なるところはない。
審決は、ヒドラジンがスライム防止剤として用いられることが既に知られていたことの裏付けとして第2引用例を引用したのであり、原告の主張するように、第2引用例のみを取り上げて一剤化の技術思想を否定するのは失当である。一剤化については、前項で主張したとおり、むしろ第1引用例に明示されているものである。
「冷凍空調機の水処理」(甲第7号証)に原告指摘の記載があることは認められるが、これは本願出願前にスライムコントロール剤を防食剤やスケール防止剤とは別々に取り扱う例があったこと、及び防食剤とスケール防止剤とを同時に実施する例があったことを示しているにすぎず、スライムコントロール剤、防食剤及びスケール防止剤の3成分を同時に混合して一剤化することはできないとする技術常識を裏付けるものではない。
むしろ、同文献には、「高濃縮運転をすると、必ずスケール、腐食およびスライム障害が発生するので、水処理剤として防食剤とスライムコントロール剤を併用しなければ安全運転はできない。」(同号証143頁左欄下から4~1行)と記載され、特開昭51-148018号公報(乙第1号証5欄2~3行及び6下欄9~11行)、特開昭51-148017号公報(乙第2号証4欄6~7行及び5欄12~14行)には、スライム防除剤として、他の薬剤、例えば殺菌剤、防食剤、スケール防止剤などと併用することもできること、その際の投入方法は、連続投入でも間欠投入でもよく、これらは任意に選択できることが記載されている。これらの記載は、スライムコントロール剤が防食剤やスケール防止剤と一剤化されているとまで示唆するものではないとしても、上記3成分を混合して同時に併用する場合があること、すなわち、用水中に3成分が同時に存在しうることを示したものであって、用水中に3成分が共存した場合、成分相互間の反応によって各成分の有する効果を減じるものでないことを示唆している。
以上のとおり、開放用水系障害防止剤である本願発明の3成分は、閉鎖用水系障害防止剤である第1引用例に実質的に記載され、かつ一剤化されており、その内のヒドラジンに着目すれば、第2引用例によって開放用水系でのスライム抑止効果があることが確認されているのであるから、第1引用例に記載のものを開放用水系でのスライム抑止剤として適用を図ることは、当業者であれば特段の発明力を要することとは認められず、本願発明によって得られる効果もその適用に際し当然予測しうる程度のものと認められる。
したがって、本願発明の構成は第1引用例と第2引用列の記載から当業者が容易に想到できたものであり、審決の判断に誤りはない。
第5 証拠関係
本件記録中の書証目録の記載を引用する(書証の成立については、甲第8号証を除いて当事者間に争いはない。)。
第6 当裁判所の判断
1 取消事由1について
甲第4号証によれば、第1引用例の特許請求の範囲第1項には、「低分子量ポリマーおよびヒドラジンよりなることを特徴とする水系中における金属の腐食を防止するために有用な組成物」の発明が記載され、その発明の詳細な説明には、この各成分につき、「好ましいポリマーはポリアクリル酸のナトリウム塩である。分子量は約500ないし約10,000の範囲内でよい。・・・ヒドラジンは任意の適当な濃度を有するヒドラジン水溶液として導入することができる。しかし、通常には35重量%の濃度が採用される。」(同号証2頁左上欄10~18行)と説明され、次いで、その応用として、「上記最終的処法に対して、種々の量のベンゾトリアゾールまたはメルカプトベンゾチアゾールのような化合物を添加して鋼および銅またはその合金の両方が同一系中に存在するより広く多様な工業的応用における有用性を改良することができる」(同2頁左上欄18行~右上欄4行)ことが明らかにされており、さらに、これら組成物について、「これら組成物は、N2H4として約5ないし約35重量%のヒドラジン;約1ないし約10重量%のポリマーおよび残余分の水を含有する。しかし、好ましい範囲は7ないし15重量%のヒドラジン;2ないし6重量%のポリマーおよび残余分の水である。これら処法に銅防止剤を使用することが所望される場合には、上記防止剤の約0.5ないし約5%を添加することができる。」(同2頁右上欄5~13行)と記載されていることが認められる。
ここで、組成物とは複数の成分が全体として均質に存在して一物質として把握されるものをいうと解されるから、上記記載によれば、第1引用例には、ヒドラジン、カルボン酸系低分子量ポリマー及びアゾール化合物を一剤化したものが実質的に開示されているということができる。
もっとも、第1引用例には、「低分子量ポリマーおよびヒドラジンよりなる組成物」にアゾール化合物を加えた組成物についての実施例の記載がないことは、原告主張のとおりである。しかしながら、第1引用例には、「下記の実施例は、本発明の組成物の1種の使用について説明するものである。」(同2頁左下欄3~4行)として、「ヒドラジン33%および約1,000の分子量を有するポリアクリレート5%を含有する組成物を、タービンのベアリングを冷却するのに使用する閉鎖冷却系15.5kl(4,000ガロン)に添加した」(同欄6~10行)例が挙げられているのみであり、これに続けて、「本発明は下記の実施態様を包含する。」(同2頁右下欄4行)として、特許請求の範囲第1項の組成物の発明の実施態様を、「(1)特許請求の範囲第(1)項に記載の組成物」(同欄5行)から「(5)ベンゾトリアゾールおよびメルカプトベンゾチアゾールよりなる群から選択された1種を、さらに含有することを包含する前記第(1)項に記載の組成物。」(同3頁左上欄1~4行)まで5例挙げ、続いて、特許請求の範囲第2項の方法の発明の実施態様を6例挙げていることからすると、上記実施例に記載された組成物に代えて、実施態様に記載された組成物を用いることは自明のこととして説明されていることが理解できる。
このように、第1引用例においては、低分子量ポリマー及びヒドラジンよりなる組成物を基本としながらも、その応用として、銅防止剤を使用することが所望される場合には、アゾール化合物を約0.5ないし約5%を添加することができることが開示され、この開示を受けて、実施態様(5)には、アゾール化合物を含有する実施態様が明記されているのであるから、第1引用例に、ヒドラジン、低分子量ポリマー及びアゾール化合物を一剤化したものが十分に開示されているというべきであり、形式的に実施例として記載されていないからといって、上記判断を左右するものではない。
原告は、本願発明と第1引用例とは、使用目的及び効果が異なると主張するが、審決は、「本願発明が、特に開放用水系をその対象とし、スライム防止剤としてヒドラジンを使用するものであるのに対して、引用例に記載のものは、閉鎖用水系を目的としており、またスライム防止についての記載もなく、この点で両者には相違が認められる」(審決書4頁14~19行)として、この点を両者の相違点として認定し、これにつき検討を加えているのであるから、本願発明と第1引用例の一致点の認定に欠けるところはないといわなければならない。
原告の取消事由1の主張は理由がない。
2 同2について
(1) 本願発明と第1引用例の発明とが、審決認定のとおり、「熱交換器や、冷却塔の如き冷却水系に使用される障害防止用混合剤であって、その有効成分として、ヒドラジン、カルボン酸系低分子量ポリマー(例として、ポリアクリル酸のナトリウム塩)およびアゾール化合物(例として、ベンゾトリアゾール)の三成分を組み合わせて用いるものである」(審決書4頁8~14行)点で一致することは、上記のとおりである。
そして、第2引用例に、「ヒドラジンが、微生物障害の原因となる微生物類の繁殖または成育を抑制する卓越した効果を有すること、すなわち、ヒドラジンが好気性微生物および嫌気性微生物の何れに対しても有効に働き、その増殖または生育を抑制することや、開放型冷却塔に発生したズーグレア、珪藻等の微生物を含有する微生物懸濁液をヒドラジンを所定の濃度で含有する処理液で処理し、その増殖を阻止し得たことが記載されている」(同5頁1~9行)ことは、当事者間に争いがないから、この記載に基づき、当業者が、第1引用例の組成物のヒドラジンが開放用水系でのスライム抑制効果を有することに着目し、第1引用例の組成物を、開放用水系に適用することは、格別の発明力を要することなく、容易に想到できることと認められる。
(2) 原告は、スライム防止対策のない閉鎖用水系用の第1引用例記載の薬剤を開放用水系用の本願発明に転用することは、本願出願当時容易ではなかったと主張する。
しかし、甲第6号証によれば、昭和57年12月1日に発行された「水処理薬品ハンドブック」は、本願出願日の約1年10か月後の刊行物ではあるが、その内容はそれまでの水処理薬品に関する技術を要約して記述したものであって、本願出願当時の技術水準を示すものとして理解できるところ、同刊行物には、「冷却水系運転上の問題点」の項に、「冷却水系において発生する障害は一般的に、次の3種類に分類されている.<1>腐食障害 <2>スケール障害 <3>スライム障害(スライム付着型およびスラッジ堆積型)・・・これらの障害は単独で発生するとはかぎらず、いくつかの障害が複合して発生することが多い.」(同号証111頁右欄下から2行~112頁左欄16行)と記載され、「表3.8 冷却水系の形式と障害の起こりやすさの概要」(同112頁)には、密閉循環式冷却水系の場合、腐食障害の発生度合いは多く、スケール障害及びスライム障害の発生の度合いは少ないが、開放循環式冷却水系の場合、腐食障害、スケール障害及びスライム障害のいずれも発生度合いが多い旨が記戴されており、これを総括して、「冷却水系においては、前項までに述べたように、系内で発生する障害として腐食障害、スケール障害、スライム・スラッジ障害がある.これらの障害は、単独に発生する例は少なく、実際には、これらの障害がいくつか絡み合って熱交換効率の低下などの具体的な障害となる例が多い.・・・冷却水系別に、これらの障害の発生しやすさを比較すると、一般には、表3.8のようになる.」(同146頁左欄下から12~4行)と記載されていることが認められるから、閉鎖用水系においても、腐食のみでなく、スケール及びスライムの障害が多少であれ発生する可能性があり、したがって、これに対処する処理が場合により必要なことは、本願出願当時、当業者にとって十分に認識できる事柄と認められる。
そうすると、第1引用例記載の薬剤の成分の一つであるヒドラジンが開放用水系においてスライム防止に有効なことが第2引用例により明らかになっていた本願出願当時において、第1引用例記載の薬剤を開放用水系用に転用して本願発明とすることは、当業者にとって格別の発明力を要することとは認められず、これに想到することが容易ではなかったということはできない。
原告の上記主張は失当である。
(3) 次に、原告は、第2引用例の発明はヒドラジンを開放用水系でのスライム防止剤とする発明であるが、腐食防止剤やスケール防止剤は、常時用水内に有効量が存在して間断なく作用することが必要であるのに対し、スライム防止剤は衝撃的あるいは間欠的に添加使用することが通常であるから、第2引用例においては、腐食防止剤やスケール防止剤と一剤化することを想定していないと主張する。
そして、甲第2、第3号証により認められる本願明細書の発明の詳細な説明の欄には、「スライム処理剤と防食剤、スケール防止剤等を一剤として使用するとすると、それらの各々の機能を満足できる程度の効果を得ることができない場合が多い。また、スライム処理剤の種類によつては防食剤やスケール防止剤と混合すると沈殿を生じたり、分解したりして配合性に難があり、一剤となし得ない。従つて、スライム処理剤と防食剤、スケール防止剤は、それらの効果を有効に発揮させるためにそれぞれ個別に用水に添加されてきた。ところが、このような処理方法は、管理する者にとつては極めて操作が煩雑であり、用水の各種障害を一剤で処理し得る薬剤が所望されていた。・・・本発明者らはヒドラジンの作用効果についてさらに検討をおこない、ヒドラジンが低濃度の連続添加で極めて有効なスライム抑制効果を有するという新たな知見を得、さらにヒドラジンと各種の防食剤、および/またはスケール防止剤との混合剤について研究を行つた結果、ヒドラジンまたはその塩の水溶液は、防食剤、スケール防止剤と容易に混合し、それぞれの持つ機能を十分に発揮でき一剤として有効に使用し得ることが判り、本発明を完成した。」(甲第2号証3欄7~34行)との記載があることが認められる。
しかし、本願発明は、「ヒドラジンまたはその塩、カルボン酸系低分子量ポリマーおよびアゾール化合物を有効成分として配合した混合剤からなる開放用水系障害防止剤」をその要旨とするものであって、これら3成分の配合割合や配合方法について限定したものではなく、したがって、第1引用例に実質的に開示されているヒドラジン、カルボン酸系低分子量ポリマー及びアゾール化合物を一剤化したものと、この点においては変わるところはないものといわなければならない。また、第1引用例の発明は、閉鎖用水系に使用されることを目的としているが、その薬剤の使用方法については、用水中に添加することにおいて開放用水系に使用される場合と変わりがないことは自明というべきであるから、この点においても、用水への添加方法について何らの限定のない本願発明と異なるところはないことが明らかである。
これに加えて、昭和48年10月10日発行の「冷凍空調機の水処理」(甲第7号証)には、「高濃縮運転をすると、必ずスケール、腐食およびスライム障害が発生するので、水処理剤として防食剤とスライムコントロール剤を併用しなければ安全運転はできない。」(同号証143頁左欄下から4~1行)と記載され、また、特開昭51-148018号公報(乙第1号証)及び特開昭51-148017号公報(乙第2号証)には、いずれもスライム防除剤の発明に係るものであり、そのスライム防除剤は、他の薬剤、例えば殺菌剤、防食剤、スケール防止剤などと併用することもできること、その際の投入方法は、連続投入でも間欠投入でもよく、これらは任意に選択できることが記載されている(乙第1号証5欄2~3行及び6欄9~11行、乙第2号証4欄6~7行及び5欄12~14行)。
これらの記載によれば、防食剤、スケール防止剤とスライムコントロール剤の3成分を併用することは、本願出願当時において、当業者が当然に考慮できることであるといわなければならず、原告の上記主張及び本願明細書の上記記載は、前示判断を覆すに足りない。
原告の援用する各刊行物の記載その他本件全証拠を精査しても、上記判断を覆すに足りる資料があると認めることはできない。
また、本願発明の効果が、当然予測できる範囲を超える特別のものであることを認めるに足りる証拠はない。
(4) 以上のとおりであるから、本願発明が、第1及び第2引用例から、当業者が容易に想到できたものとした審決の判断に誤りはなく、その他審決にこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
3 よって、原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 木本洋子)
平成1年審判第2808号
審決
東京都千代田区丸の内2丁目5番2号
請求人 三菱瓦斯化学株式会社
東京都千代田区丸の内2丁目5番2号 三菱瓦斯化学株式会社
代理人弁理士 小堀貞文
昭和56年特許願第22814号「用水系障害防止剤」拒絶査定に対する審判事件(平成1年12月22日出願公告、特公平 1-60553)について、次のとおり審決する.
結論
本件審判の請求は、成り立たない.
理由
本願は、昭和56年2月18日の出願であって、当審において出願公告され、平成2年10月30日付け手続補正書によって、明細書の発明の詳細な説明の一部が補正されたものである.
そして、本願には、3つの発明が含まれているところ、このうちの1つの発明の要旨は、出願公告された明細書の記載からみて、その「特許請求の範囲」の第2番目に記載の、次のとおりのものと認める。
「2 ヒドラジンまたはその塩、カルボン酸系低分子量ポリマーおよびアゾール化合物を有効成分として配合した混合剤からなる開放用水系障害防止剤。」
これに対して、特許異議申立人 山口栄治は、甲第1~同5号証を提出し、本願発明は、甲各号証に記載の発明から容易に想到し得るものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない、旨の主張をしている。
甲第1~同2号証には、それぞれ次の事項が記載されている。
甲第1号証(特開昭50-21948号公報、第1引用例という)
イ.水系中における金属の腐食防止組成物であって、低分子量ポリマーおよびヒドラジンよりなること、
ロ.低分子量水溶性ポリマーとして、ポリアクリル酸のナトリウム塩が好適であること、
ハ.イ.の組成物に対して、ベンゾトリアゾールまたはメルカプトベンゾチアゾールを添加して、鋼および銅またはその合金の両方が同一系中に存在するより広く多用な工業的応用における有用性を改良すること、
甲第2号証(特公昭53-17649号公報、第2引用例という)
イ.工業用水中に存在する細菌類および/または藻類などの微生物の増殖を抑制する方法であって、用水中にヒドラジンを存在させること、
ロ.用水の循環使用において、開放型のものは、系の一部で循環水を強制曝気せしめているので、循環水は空気、太陽光線と接し、そのことが好気性細菌や藻類の繁殖を助長し、水管系内壁に着生しスライムを形成すること、
ハ.ヒドラジンは、好気性微生物および嫌気性微生物の何れに対しても有効に働き、その増殖または生育を抑制すること、
本願発明を、第1引用例に記載の発明と比較すると、両者は、熱交換器や、冷却塔の如き冷却水系に使用される障害防止 混合剤であって、その有効成分として、ヒドラジン、カルボン酸系低分子量ポリマー(例として、ポリアクリル酸のナトリウム塩)およびアゾール化合物(例として、ベンゾトリアゾール)の三成分を組み合わせて用いるものであるが、本願発明が、特に開放用水系をその対象とし、スライム防止剤としてヒドラジンを使用するものであるのに対して、引用例に記載のものは、閉鎖用水系を目的としており、またスライム防止についての記載もなく、この点で両者には相違が認められる。
そこで、相違点について検討する。
第2引用例には、ヒドラジンが、微生物障害の原因となる微生物類の繁殖または生育を抑制する卓越した効果を有すること、すなわち、ヒドラジンが好気性微生物および嫌気性微生物の何れに対しても有効に働き、その増殖または生育を抑制することや、開放型冷却塔に発生したズーグレア、珪藻等の微生物を含有する微生物懸濁液をヒドラジンを所定の濃度で含有する処理液で処理し、その増殖を阻止し得たことが記載されている.
つまり、本願出願前において既に、ヒドラジンを開放用水系においてスライム形成の抑制用として用いることは知られていたのであり、その抑制効果についても確認されていたのである。
してみれば、ヒドラジンを含有し、さらにカルボン酸系低分子量ポリマーや、アゾール化合物との組み合わせが明示されている第1引用例に記載の腐食防止剤における、開放用水系でのスライム抑制効果がすでに確認されているヒドラジンに着目し、これを第1引用例に記載の、その用途である閉鎖用水系とは異なる、開放用水系への適用を図ることは、当業者であれば特段の発明力を要することは認められず、本願発明でそれによって得られるという効果もその適用に際し当然予測し得る程度のものと認められる。
以上のとおりであるから、本願発明は、第1引用例および第2引用例に記載の事項から当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。
したがって、本願は、特許請求の範囲に記載された第1番目および第3番目に記載された他の発明について検討するまでもなく拒絶すべきものである。
よって、結論のとおり審決する。
平成3年3月14日
審判長 特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)